すずめの戸締まり考〜七十二候と燕雀鴻鵠、火の記憶と燕石考、古文書と猫神譚から紐解くダイジン考〜

 

f:id:tenjo09:20221209230103j:image        画像引用元:すずめの戸締まり公式HP

 

先日、新海誠監督作品『すずめの戸締まり』について、神道的な視点からの考察をリクエストに応じて投稿(↓)したところ、思った以上の反響がありました。

 

 

色々な方から、名についても詳しい考察を聞きたい、というリクエストを複数いただきましたので

 

本稿では神道的・アニミズム的解釈に加えて、神話や故事、詩や時候の引用なども行いながら、考察していきたいと思います。

 

公式に裏を取ったわけではないため、偶然の一致が幾重にも生じている可能性がありますことをご承知おきください。

 

というのも、そもそも神話や伝承というものは、世界中に似た構造・モチーフが散見されるものだからです。

 

本作は、長い歳月をかけて我々の遺伝子に蓄積した記憶が、(作為的か無作為かはさておき)幾重にも織り込まれ散りばめられた作品だと感じています。

 

後述する『燕石考』における南方熊楠の言葉を借りれば、まさに「伝説はその原因があまりにも多様で複雑な点で、またそのために、先行するものをあとになって追加されたものから解きほぐしにくいという点で、まさに夢に匹敵するものである。ところで原因となるものは、くりかえし果となり因となって、相互に作用しあう。そして原因の他のものは、組み合わされた結果の中に解けこんで、目に見えるような痕跡を全く遺さない」のであり

 

それぞれのモチーフやメタファーは姿や立場を入れ替えながら、ときに鏡合わせ、入れ子構造とその反転、ウロボロスの円環のような巡りを行いながら物語に溶けていくものですので

 

あくまで、こうした解釈もできるかもしれない、という視点を増やす一助として、本稿をお楽しみいただけると幸いです。

 

すずめの戸締まり考・前編 目次

1.七十二候「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)/蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」と災害の一致

2. 七十二候「雀始巣」「玄鳥至/玄鳥去」との重なり

3. 燕はやかへりて山河音もなし〜『火の記憶』と被災の景色~

4. 燕雀と鴻鵠/鈴芽(人)と両ダイジン(大神)の諷喩

5.燕考〜盲目を治す石、龍神の伝承、孝行譚〜

 ⑴ロングフェロー南方熊楠『燕石考』

 ⑵常世の鳥、龍神の贄としての燕

 ⑶環が結ぶ雀孝行と因縁譚

6. ダイジン考〜幼き要石の謎、猫神信仰〜

 ⑴古文書から紐解く子どもの神様像

 ⑵ダイジンのモチーフ〜大臣と大神〜

 ⑶猫の神様〜田代島の伝承〜

7. おわりに

 

1. 七十二候「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)/蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」と災害の一致

 作中では2023年9月25日からの五日間でミミズを鎮める旅が行われるが、最後の二日は草太が要石になり、ミミズが鎮められていた期間でもある。

 2023年9月29・30日の七十二候は「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)にあたる。ミミズが常世に隠れて後ろ戸は塞がれる、という作中の流れと一致している。
なお、東日本大震災が起きた2011.3.11は、対となる「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)である。

 このことからも、作中に七十二候由来の他のモチーフが組み込まれていても不思議はないと推察する。

 

2. 七十二候「雀始巣」「玄鳥至/玄鳥去」との重なり

 鈴芽と椿芽の名を音で紐解けば(神道では言靈といって、音を重視する慣例がある)、すずめとつばめである。

 また、七十二候には「雀始巣(すずめはじめてすくう)」のほか「玄鳥至(つばめきたる)、玄鳥去(つばめさる)」が存在する。

 2011年の雀始巣に相当するのは3月21日であり、鈴芽が初めて親のいない世界で生きていく情景と重なる

 なお、玄鳥至に相当するのは4月5日であり、本来ならば玄鳥(椿芽)が迎えに来てくれるはずの時期であるにも関わらず、鈴芽が玄鳥と再会できていないことを暗喩しているともとれる。

(被災者の方々への想いから直接の描写を避けていても、この頃に亡骸が見つかっている可能性はあり、個人的にはそういった思いで織り込まれているのではないかと思っている)

 

 

3. 燕はやかへりて山河音もなし〜『火の記憶』と被災の景色~

 

燕はやかへりて山河音もなし

          加藤楸邨『火の記憶』

 

 本来の時候(寿命)では無いのに燕(椿芽)が思いがけず早く常世に帰ってしまい、山河からその愛しい音(声)を聞くことができない、と重ねて読むことができる句である。(古来から燕の声は親しまれてきたため、その音を聞けない心寂しさが内包される歌である)

 なお、加藤楸邨が『火の記憶』を綴った時代背景についても一筆書き添えたい。というのも、加藤楸邨東京大空襲を被災しているのだ。

 石寒太著『加藤楸邨』では、以下のようにある。

「空襲の火の手は、みるみる目の前をひろがっていった。家も焼かれ、燃えさかる奥の庭には牡丹の大輪があって、その牡丹の花弁がめらめらと火の中に、無音でくずれながら散っていった。…(中略)…五月二十三日、深夜六編隊空襲。病臥中の弟を背負い、妻と共に一夜道子と明子を求めて火中彷徨」

 戦中、様々な喪失を体験した後に詠まれた句であることと、作中の"常世"の燃える景色、そして作中繰り返される祝詞と重なる歌である。

 

 

4. 燕雀と鴻鵠、鈴芽(人)と両ダイジン(大神)の比喩


燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

           『史記・陳渉世家』

 

 原文、訳文は以下である。

 

陽城人陳勝、字渉。
少与人傭耕。
輟畊之隴上、悵然久之曰、
「苟富貴、無相忘」
傭者笑曰、
「若為傭畊、何富貴也」
勝大息曰、
「嗟呼、燕雀安知鴻鵠之志哉。」

 

訳文:秦が中国を支配したとき、陽城《=河南省》に陳渉という男がいた。小作人として働いていたが、耕作の手を休めて畔に行き、身の上を嘆くことしばらくして言った。「もし富貴になろうと、互いのことを忘れずにいよう」すると仲間たちは、笑って答えた。「お前さんは人に雇われて耕している。なんで富貴を望めようか。」陳渉はため息をついて言った。「ああ、燕や雀のような小鳥に、どうして鴻や鵠のような大きな鳥の気持ちがわかるだろうか。

 ちっぽけな人間(小鳥)である鈴芽と椿芽には大鳥(神=ダイジン)の大きな志を推し量ることはできない、とも読める。

 

 ここで、冒頭で触れた考察ツイートに論を戻したい。

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 鈴芽は、まさに神であるダイジン(鴻鵠)に伝えた「うちの子になる?」という言葉を忘れているのである。対してダイジンは石から猫に姿を変えてなお、鈴芽(小鳥)の言葉を憶えている、という構造になっている。


 鴻鵠とは大きな雁や白鳥のことであり、それを神の隠喩と仮定すると、燕雁代飛(常世へ旅立った椿芽と入れ替わりに、雁=ダイジンが訪れた)と読むことができる。


 以下は蛇足かもしれないが、鴻雁が人々にどのようなイメージを与えてきたのかについても少し触れたい。

 鴻雁哀鳴という蘇軾 (そしょく) の詩に由来する熟語が存在する。ひとつの場所に留まらず流浪を続ける鴻(大きな雁=サダイジン)雁(小さな雁=ダイジン)が哀しげに鳴いているようにうつることから転じて、帰る場所を無くした存在の辛苦を表す言葉。要石達は常世の存在となったことで現世において帰る場所を喪った存在に思える。

 また、雪泥鴻爪という言葉からは、鴻(要石)の爪痕は雪どけのぬかるみのように現世には残らない、とも読める。

「人生到処知何似、応似飛鴻踏雪泥。 泥上偶然留指爪、 鴻飛那復計東西」

《雪解けのぬかるみに残された鴻 の爪 あとの意から》世間の出来事や人の行いなどが消えてしまって、跡かたのないこと。

 鴻雁を要石の比喩と仮定した場合、現世での姿を失った要石たちの立場とどこか重なってみえる。

(ちなみにサンスクリット語では、 雁と白鳥を指す言葉は、 いずれも 「 ハンサ」hamsaである)

 後述するが、草太の名の由来が草薙の剣ならば、その剣の持ち主は日本武尊(やまとたけるのみこと)となる。日本武尊は死後白鳥(すなわち神の化身)になったとされている。閉じ師の家系からは時として神となる要石が輩出され、一族はその神の神威が保たれるように祈りの旅を行い、要石とは協働体制あるいは相互補完するような形(祖霊祭祀とも重なる)要石を鎮め、そして悼む祭祀を司ってきたと読むこともできる。

 

 

5.  燕考〜盲目を治す石、龍神の伝承、孝行譚〜  

   ロングフェロー南方熊楠『燕石考』

 燕が海辺から運んでくる石は燕石と呼ばれ、雛の盲いた目を治すという伝承がブルターニュ地方をはじめ各地にあり、南方熊楠が『燕石考』でロングフェローの詩を引用している。

 

納屋の中 垂木の上の 雛鳥がひしめいている燕の巣まで

何回もよじ登っては 熱心に探したものだった。燕たちが

雛の盲を治すため 海辺から運んでくる不思議な石を。

燕の巣でこの石を見つけた者は 果報者とされているのだ。

   ロングフェローエヴァンジェリンあるいはアカディの物語』

 

 椿芽が海にいったことで鈴芽のもとに後ろ戸が開き、鈴芽は常世に続く後ろ戸に惹かれるようになった。幼い鈴芽は生きながら常世にいくほどの孤独と別離を経験した(母のいる常世へ赴くほどの孤独)。

 そうして常世の中で未来の鈴芽と後ろにいた草太に見守られながら(要石や草太でもあった)椅子を渡されたことは、冒頭で初対面のはずの草太を見た時に「どこかで会ったことありませんか?」と追いかけることに繋がる。

 つまり、遡れば、椿芽との別離がなければ幼い鈴芽が常世にいき草太と巡り合い、草太を追いかけて後ろ戸にある要石を引き抜くことにはならないのである。要石でもある草太とダイジンは、椿芽が愛娘・鈴芽の盲目(自分の行いが周りへもたらす影響が見えていないために自他を傷つけてしまう状態)を治癒するためにもたらした燕石のような存在だと読むことができる。

 

 

 ⑵常世の鳥、龍神の贄としての燕

 

燕肉を食べた時には水に入ってはいけない、蚊龍に呑まれる恐れがある

                『博物志』

 

 また、小島瓔礼によれば「ツバメは水界とかかわり深い鳥と考えられ、竜が好むので、祈祷家はツバメを用いて竜を招き、雨を祈ったという。日本で秋田県福島県に生きたツバメを池などに投じて雨乞いをしたのも、同じ信仰であろう。渡りの習性から、異郷(他界)と現世を結ぶ神秘的な鳥とされた」とある。

 

 贄としての椿芽なのだとシンプルに解釈することもできるのだが、これまでクリエイターとして『君の名は』『天気の子』を生み出すにあたり、被災した人々への配慮をあれほど重ねた(傷つけないための配慮を重ねすぎたといってもいいほど、苦悩の痕がみてとれる作品群だったように思う)新海誠監督…震災に向き合い続けた人物が、安直に椿芽=贄、という構造をストレートに採用するだろうか、と考えると違和感を感じる。

 神々によって連れ去られたと解釈するのであれば、生贄という暗いニュアンスより、災害によって椿芽が常世へ渡ったことへの捉え方としては、神は愛する者をすぐ連れ去る(God takes soonest those he loveth best.)というニュアンス、即ち神の愛ゆえに訪れた離別と受けとるほうが妥当に思える。

 

 

 ⑶環の結ぶ雀孝行と因縁譚

 日本各地に《雀孝行》と呼ばれる話が存在する。様々なバリエーションがあるが、いずれにも共通するのは、親の臨終に際して、雀はすぐ駆けつけたが燕は身支度をしてから向かったために間に合わなかった、という流れである。

 ツイートしたようにサダイジンが環を通して因果や因縁による学びを魂にもたらしたとするならば、その背景には因縁によって生じる輪廻転生を肯定する世界観があっても不思議ではない。

 鈴芽を引き取った環の字は巡りや輪の意味をもつので、私のように日頃から靈魂の世界に触れるものにとって、その字から「輪廻転生」や「因果律」というイメージは切り離せないものがある。

 仮に椿芽=燕であるとすれば、その燕は人の姿に転生し、今度は親の立場になり自らの死を見届けてもらえない経験することで、燕だった頃の行いの影響力を識り、魂がそうした経験を積む、という構造が折り込まれていると解釈することも可能になる。

 

 

 

6. ダイジン考〜幼き要石の謎、猫神信仰〜

 ⑴古文書から解く子どもの神様像

 草太はダイジンの言動について気まぐれは神の本質だ」と言っているが、それは自らが人柱として神になる可能性があるとは夢にも思わない、すなわち他人事として片づけている時点での発想である。

 そもそも神の境地は人には理解できないものであるいうニュアンスの台詞はまるでもっともらしく聞こえるのだが、この時の草太は、ダイジンの立場や役目について思いを巡らせることから目を背けている。

 感謝などされなくとも人知れず自分たちの日常を支える要石の役割を引き受けてくれてきた神・ダイジンがなぜこんなにも不可解な言動をするのかを、草太は気まぐれに過ぎないと決めつけて思考停止してしまい、その奥に存在する理由を考えることをはなから放棄しているのである。

 

 ダイジンについて、新海誠監督は「子どもの神様のイメージ」と発言している。

「東の要石 黒猫の姿なる大神 此れ以てしても 安政のなゐの神 留め叶わず 大地震ありけり 黒石抜けたるを 閉じ師 宗像一族直ちに修復せん」

と作中の古文書にあることから、安政の大地震に際して、閉じ師は一人ではなく"一族"で修復したことが予測される。

 想像の域ではあるが、一人で鎮めきれない規模の災禍ならば、資質のある者は老若男女問わず一族皆駆り出されて全力で閉じた状況である可能性が高い。誇りを持って萬民のため閉じ師を継いできた一族が、民の未来を担う次世代の閉じ師となる幼な子を要石にすることを良しとするとは考え難い。

 総員で後ろ戸を閉めようと臨んだものの力及ばないほどの大災害の真っ只中(押し開かれようとする江戸城ほど大きな門を閉めるには複数の大人の力が必要ではないかと思われる)、幼いダイジンは自分が要石になれば皆が助かると気がつき(作中におけるすずめへの健気な献身をみても、神となる前からそうした清らかさをたたえた存在であり、それゆえに幼ない身でも要石になりえた可能性が高い)、みずからその役目を引き受けたと考える方が自然に思える。

 

 また、作中ダイジンが「人がいっぱい死ぬ!」と言ったことに対して疑問を持った方が多かったようだが、ダイジンは情緒の未発達な子ども時代に要石になっているため、共感力などを育むための経験をする時間もなかったことが推察される。

 草太が要石になる過程で氷漬けになり人間的なあたたかな感情を失っていく描写から、そうでなくても未発達な存在の心が更に数百年凍えていったことを想像すると、人間的な情緒や思考が脱落あるいは氷結したような存在になっていくのは、むしろ当然の成り行きのように思われる。

(サダイジンはそうした発言を全くしていないことから、情緒が成熟してから要石になったであろうサダイジンとダイジンの違いが発生しているととれる)

 東京上空にミミズが落ちたらどうなるのか説明するときも、(幼い頃に要石になり心が凍えて感情が脱落していった状態のままなので)要石を担う重みを知らない草太へ、(神としての本性として、機械的に)相手をモノとして扱おうとする行為の意味を、身を以て学ばせているだけのように解釈できる。(モノとして扱う草太と、その態度を鏡のごとく反射するダイジン)

 

 また、ダイジンは要石としての役目を理解しているため、鈴芽がミミズを鎮めるたび、素直に「すずめ、すごーい!」と賛辞を送っている。

 ここで冒頭のツイートを引用したい。

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 神は人の敬により威を増し…のとおり、ダイジンは鈴芽から母性を感じるような態度をされたので、鈴芽に対しては後ろ戸を閉じる場所へ鈴芽を導き育む親のような見守り方もしている。

 そして同時に、後ろ戸の場所へ導く際も、子が親に褒められたがるように、閉じなくてはいけないものを見つけたことを鈴芽に褒めてもらいたい気持ちで嬉々として報告していたと解釈できる。

 

 草太とはモノとして扱う関係を、鈴芽とは母子関係を、エゴのないダイジンが鏡の役目を果たして再現している

 

 

 ⑵ダイジンのモチーフ〜大臣と大神〜

   公式パンフレットには「古来から猫は異世界への案内役というイメージがあり、新海誠監督が猫好きでもあることから。強大な存在で大事な役割を担っているということで大臣=ダイジン。同時にダイジン=大神の意味も込められている」とある。

 今でこそ大神は"おおかみ"と読まれることが多いが、大神ヶ嶽や東京大神宮のようにダイジンと読まれることも少なくない。偉大な神様を表す時に用いられる尊称である。

 

 新海監督は閉じ師のイメージを"裏天皇のような存在"と言っているが、大臣というのは天皇を補佐する存在であり、実際のマツリゴトの実権を握る要となる役職でもある。

 すなわち、裏天皇として祈る役目のある閉じ師と、身体を張ってミミズを鎮める要石たちの役割はまさに帝と左大臣右大臣の構造そのものなのである。

 なお、左大臣は右大臣よりも上位の立場にあたる(神社でも、左側はより上位となる)。お雛様を見ても、左大臣は老成した姿を、右大臣は若い姿をとり、作中のサダイジンとダイジンと重なる構造となっている。

 ちなみに、実際の歴史で大臣職に奉じるのは公家、即ち天皇家の血の流れている帝の末裔である。宗像一族が閉じ師の血筋であり、その一族の一員であったであろうダイジンが要石(大臣)の役割を果たしていると読むことができる。

 

 

 ⑶.猫の神様〜田代島の伝承〜

 猫神信仰といえば、宮城県の田代島にある猫神社が有名である。当然ながら被災地の一つであり、猫を神として据えた監督が田代島の伝承を調べていないとは考えにくい。

 田代島の猫神社では、錨を作るために砕いた岩が当たって猫が亡くなってしまい、胸を痛めた頭領が手厚く祀ったところ、それから大漁が続くようになったという。

 古来より猫は天候のわずかな変化を感じとれることから、漁の予測をする時に頼りにされてきた歴史がある。

 猫が微細な自然の変化をキャッチする優れた能力を持つことは、災害をもたらすミミズが出現する場所へ的確に鈴芽たちを案内する要石の役回りとも正確に一致する。

 そして切ないことではあるが、死期を悟った猫は行方をくらませると昔から言われるように、ダイジンとサダイジンもまた、常世(死者の赴く世界でもあるため)に姿をくらませる存在である。

 なお、養蚕業の盛んだった頃、猫は蚕を脅かす鼠を狩る守り神のような存在でもあった。そうした背景もあり、養蚕業の盛んだった東北には猫神社が多いとされる。

 実は天岩戸神話で天照大御神が天岩戸に籠ったきっかけは、機織女が驚いた拍子に怪我をして亡くなったショックが原因である。

 猫は、天照が岩戸に籠る以前には、天照が大切にしていた機織女に必要な絹をもたらす蚕を守り、巡り巡って天照の心を守り、その太陽神としての役目を果たすための環境を整える一端を担ってきた存在であるともいえる。

 

 

 

 

 あまりに長くなってしまったので、ここで区切りましたが、以上は前編です。後半ではヒミズ祝詞、ヴィヨン考、賀茂真淵八咫烏、靈木と巫女、閉じ師と巫女、後ろ戸、神話ベースの名前について綴る予定です。

 

 元々、鑑賞後に周りからいただいた質問にお答えしていたら、ぜひ呟いてほしいとのリクエストがあって綴り始めたのがきっかけのTweetでした。

 

 思いがけず沢山の方に喜んでいただけたようで、続きが知りたいと色々なメッセージをいただき、嬉しい思いで拝読しました。ありがとうございます。

 

 とはいえ、執筆にも時間が必要なものなので、もしよろしかったら下記より応援していただけると幸いです。

 

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 さて、すずめの戸締まり繋がりでこちらの記事に辿り着いた方には馴染みがないと思うのですが、私は日ごろから、国拝みという、閉じ師の行うような、祈りの旅をしています。

 閉じ師のような役目を担う存在というのは、その規模も領域もそれぞれですが、実在します。

 国祈願は基本的に秘事ですし、あけっぴろげに踏み行ってはならない閉ざされた神域へ向かうことも少なくないため(本来入れない場所に、その土地を守り継いできてくださった方が通してくださることになるため)

 このブログで書き記せていることはほんのさわりに過ぎないのですが、もしそうした祈りに関心があられましたら、他の記事もご覧いただくとよいかもしれません。

 

 

7. おわりに

 私は産まれた土地が東日本大震災で壊滅的な被害を受けた女川生まれ(育ちは内陸)ということもあり

 震災の描写があると聞き、具合が悪くなったりしないだろうかという恐怖心も抱きながらの鑑賞になりました。

 実際、常世において船が乗り上げたシーンが映り込んだ時は、動悸と共に心臓がぎゅうっと握られるような、血の気が引いて手先が冷たくなっていくような感覚があり、手のひらを握りしめながら(どうかこれ以上辛くなる描写が続きませんように…)という祈るような思いで観ていました。

 クライマックスで鈴芽が実家の瓦礫跡に行ったシーンでは、震災直後ご遺体置き場にされていた高校時代に遊んだ岩沼のボーリング場の景色だったり、今も女川に向かう途中に広がる荒涼とした景色が、重なるように見えていて。

 実は今でも辛くなってしまうので、お参りの時を除くと、以前のようには女川に行けないのです。

 大好きだった漁港のシラス干しの景色も、第三保育所に向かう途中にあった桑の実がないことも…

 そうしたささやかな、地続きの日常風景が突然無くなったことに、適応できない…適応してしまっては不義理なのではないかと恐れる自分が今でも存在します。

 

 監督が創作に行き詰まり眠れない夜があった話を出演者の方が仰っていたように、非常に難しいテーマですから、どれほど心を砕きに砕いても、誰かの傷に触れることを避けられない話です。

 慎重すぎるほど慎重に、繊細に震災に向き合ってきてくださった新海監督の作品だからこそ、勇気をもって劇場に足を運んだ方も少なくないのではないかと思います。

 命を悼むこと、土地を悼むことを胸に、11年に及ぶ難産を経てこの作品を生み出してくださったことへの感謝と、(おこがましいことではありますが)心からの労りの念を禁じ得ません。

 作品を通して、悼むこと、生きること、祈ること、そして自らの姿を知ることによってもたらされる根源的な癒し…挙げればきりがありませんが、そうしたテーマにここまで真摯に向き合ってくださった監督に、心からの感謝を申し上げます。

 

 新海監督、野田さんはじめ(彼岸に片足を突っ込んでいた高校時代、祈跡や螢は命を支えてくれた曲でした)、この作品を世に送り出してくださった方々とその日々を支えてくださった皆様への心からの謝意を捧げ、その心願の成就と幾久しく祥ふる道を、深く言祝ぎ申し上げます。

 

 そして、こちらの拙い記事をご覧くださった皆様のご多幸と、なによりその心身の安らぎを、心よりお祈り申し上げます。

 

 いよいよ本格的な寒さとなりました。どうかくれぐれも、かけがえのないお身体をおいといいただけますように。

 

 

             目黒盛智恵 拝